Author: Yu Shioji (塩地 優) Article type: Article(研究) Article number: 240019
コンパクトな敷地に設置が可能な、歩いて回るタイプのアトラクション、「ウォークスルー」タイプのアトラクションは、特に敷地が狭い日本の遊園地では重宝され、様々なタイプが開発されてきました。ここでは、一般的なお化け屋敷、あるいは迷路にのみ分類されるものを除いて、それ以外のタイプのウォークスルーアトラクションについて、日本国内での進化を追います。ウォークスルーアトラクションの華が開いたのは、電子制御や映像、ロボット、音響などの技術が使われるようになった、バブル期以降。そこで、ここでは1986年の東京ディズニーランド、シンデレラ城ミステリーツアー以降、2001年のUSJ開業前までの期間について見ていくことにします。考察に使用したアトラクションのリストは、本文末尾に表形式で掲載しています。
ウォークスルーという概念
現代の形に近い遊園地の起源は、20世紀初頭のコニーアイランドに遡ることができます。その時代、プロテスタント社会だったニューヨークの、特に男女交際に対して抑圧的な環境からの開放の象徴として、コニーアイランドがありました。未婚の男女が会釈をすることすら憚られる時代に、コニーアイランドでは初対面の男女が、共にスリルのある乗り物に乗ったり、あるいは美しいイルミネーションを眺めたり、といった形で、その日だけの関係を楽しんでいました。コニーアイランドには複数の遊園地がありましたが、いずれも「ギャグ」と呼ばれるギミックが多数設置されていました。例えば入場する人の足元からエアーを噴き上げてスカートをめくったり、回転する樽を設置して通過しようとする人を転ばせたり、来園者の失態を他の来園者が笑いものにするような、今の時代からするとクレーム殺到モノのギミックです。[1]
そうしたギミックの中には、回転する円盤に乗って外側に放り出されることを楽しんだり、回転する筒の中を通ったり、あるいは単純な滑り台や歪んだ鏡など、子供向けの遊具に近い形態のものもあったようです。
これらをまとめ、1方向に歩いて進むような形態へと進化していくことで、ファンハウスという概念が形作られていきました。これがウォークスルーアトラクションの1つの形態です。
一方で、テーマのある空間の中を歩いて見て回るタイプのアトラクションもありました。これもまた、20世紀初頭のニューヨーク・バッファロー及びコニーアイランドのルナパークに設置された、 A Trip to the Moonというアトラクションに遡ることができます。このアトラクションでは、宇宙船のようなライドに乗って月への旅行を楽しんだ後、月の人に扮したスタッフがいる空間を歩いて回ることができました。
このようにテーマ性のあるウォークスルーと、ファンハウス的ギミックが結びついて、現代型のお化け屋敷をはじめとした、さまざまなウォークスルーアトラクションが作られていきます。中でも米国の遊園地黄金期(1920年代)の傑作として知られるのが、「ノアの箱舟(Noah’s Ark)」というアトラクションです(図1)。常に揺れている船の中に、エアー噴出や柔らかい床などのギャグがあり、かつちょっと怖い雰囲気の動物を見て回る、テーマ性もあるウォークスルーアトラクション。怖いけどお化け屋敷ではない、現代のウォークスルーアトラクションの原型の1つであると考えられます。
日本のウォークスルーアトラクションの類型
1986年以降の日本に目を向けると、ウォークスルーアトラクションは非常に多様化していますが、いくつかのパターンがあることが見えてきます。
- 従来型のファンハウスに人形によるギミックや凝った装飾を追加したタイプのもの
- 展示品を見て回る、博物館・美術館タイプ
- シューティングタイプ
- 占いタイプ
- ゲーム・ミッションクリアタイプ
- ‐30度など、低温体験タイプ
- テーマを作り込み、その世界を見て回るタイプ
- 上記の組み合わせ
それぞれ、個別に詳細を見ていきます。
1. 従来型のファンハウスに人形によるギミックや凝った装飾を追加したタイプのもの
比較的古いものが多く、代表例は、例えば1987年向ケ丘遊園の「ファンタジーメイズ」など。
上記の場合、女性の絵が奇声を発する「女性の小部屋」、大きな箱からピエロの首が飛び出す「ビックリ箱」、強化ガラスの橋を渡る「鏡の部屋」、男性の絵が銃を撃つ「男の小部屋」、動物が躍る「モンスターランド」、泡風呂の人形が水をかける「モンローの部屋」と6つの部屋を通過します。基本的には驚かす内容なのですが、決してホラーハウスではなく、ややユーモラスな描写もあります。
あるいは、現在も複数の遊園地で見られる「ワームホール」もこのタイプでしょう。回転する筒の中を、橋を渡って歩いていくことで平衡感覚を失わせるギミックです。1998年、東京ジョイポリスのアステロイドゾーンのように、ファンハウスの一要素として使われることも多くあります。
時代を下ると、テーマ性が増していきます。例えば1993年、花やしきの「見世物小屋」は下町っぽい、ユーモラスな雰囲気をテーマにしていました。今ではコンプラ的にあり得ない表現もありましたが……。
また、1996年、東京ジョイポリスの「ウィアードフォトスタジオ」は、古典的なギャグ要素をはじめとして、様々なギミックにより驚いている瞬間の写真を撮影することで、自分自身を笑いものにする、ファンハウスの原点回帰のような内容でした。ただし、主としてグループ内で写真を見ることを目的としていて、プライバシー意識は時代とともに大きく変わっていることがわかります。
2. 展示品を見て回る、博物館・美術館タイプ
これはいつの時代も大きくは変わりません。
1993年、東京ディズニーランドの「ディズニーギャラリー」や、1997年ハウステンボスの「テディベアミュージアム」、あるいは1987年、向ケ丘遊園の「シルバニアファミリー」など、コレクション性のあるものが展示されています。
遊園地内に設置することで、テーマ性の強化やテーマに対する権威の付与、場合によってはターゲット層の集客の目玉とするなど、アトラクション設置ではどうしても賄えない需要に対応するために設置されることが多いと考えられます。
3. シューティングタイプ
シューティングアトラクションは、画面を使ったインタラクティブタイプや、ライドタイプなど様々な形がありますが、最も現実に近いのは、自分の足で歩いて回るウォークスルータイプです。このため、シューティングはウォークスルーとの相性が極めて高く、早くから様々なタイプが導入されてきました。
例えば1987年にオープンしたアメージングスクエアは、複数のウォークスルーシューティングアトラクションを備えていましたし、1988年オープンの長浜楽市は、長らくダイフレックス社製の「ワンダーウォーズ」シリーズを設置し、これは外販もされました。
大抵は複数の部屋に分かれていて、各ステージをクリアしながら進んでいく形式。シューティングの得点に加えて、敵からの攻撃による減点や、時間制限等を組み合わせることによってゲーム性を付与していました。
1990年代後半になると、よく知られているようにゲームメーカーのアミューズメントパーク参入が相次ぎます。シューティング系で端緒を切ったのは、1992年ナムコワンダーエッグの「ファントマーズ」。これは専用のスコープでファントムを見つけて打つタイプでした。後に1996年、ナムコナンジャタウンの「ナイトイーグルの砦」で、実体のある的を撃つ形式に変化します。当時としてはこの形式がゲーム性、没入感、爽快感のバランスが高く、実際に外販されたのもこのタイプでした。
アミューズメントパークに参入したゲームメーカーとして、ナムコと双璧をなすSEGAは、1994年に「バーチャルシューティング」というアトラクションを、ジョイポリスの前身となる大阪「ガルボ」に導入しています。ただ、これはゲームバランスの調整がうまくいっていなかったようで、当初使用していたHUDを途中で廃止したり、様々な手が加えられていきますが、結局ウォークスルータイプのシューティングが初期のジョイポリスに導入されることはありませんでした。代わりに、シューティングアトラクションとしてはゴーストハンターズのようなダークライド型や、ロストワールドスペシャルのようなゲームセンター機の豪華版、あるいはQ-ZARのような市販の対戦型が用いられることになります。
4. 占いタイプ
アトラクション中で様々な質問に回答し、その結果を手持ちのデバイスに記録。出口で占い結果が印刷される、という形式が基本です。スピリチュアルブームの前、占いブームに乗って、全国各地に多数のアトラクションが設置されました。ホラーアトラクションでもホラー診断が出されるなど、その影響は幅広く及んでいます。
やはり双璧となるのは、1992年ナムコワンダーエッグの「占い魔女の館」、1993年「ミラーナの心理迷宮」と、1996年ジョイポリス(各地)の「フォーチュンミュージアム」です。いずれも外販される人気機種となりました。ジョイポリスは、当初大阪ガルボに導入した「アストロノミコン」という、劇場型で50人が一斉に占いに答える形式のアトラクションを導入していたのですが、後に周りの目が気になりにくい、個別に回答をするナムコに似た形式のフォーチュンミュージアムを導入することになりました。
後に、スピリチュアルブームを経て占いが下火になると、こうしたアトラクションは数を減らすことになりますが、手持ちの端末やデバイスを読み込み、そのIDに紐づける形でデータを保管する(あるいは端末自体にデータを書き込む)という手法は、パーク回遊型やミッションクリア型などの様々なアトラクションに活用されることになります。
5. ゲーム・ミッションクリアタイプ
アトラクション中で様々なミッションに挑戦し、それらをクリアしていくタイプの施設です。ジャンルとしては、ウォークスルーシューティングも、ミッションタイプの派生形にあたると考えられますが、時系列としては先にシューティングが流行し、後にミッションタイプが流行しましたので、ここでは分けて考えることにしています。
話題性があったのは、1996年ナムコワンダーエッグの「ザ・スタアオーディション」ではないでしょうか。これは、音階や表情などのテストをクリアしていくと、実際にアミューズやホリプロなど、芸能事務所の審査を受けられるようになる、というもの。遊園地のアトラクションと芸能界がシームレスにつながっているかのような、世界観の拡張に成功したアトラクションです。このヒットを受けて、類似のアトラクションが複数作られることになりましたし、また、アーケード機も作られました。
泉陽系のパークに作られた宝探しアドベンチャーや、1999年ネオジオワールドのルーインズなど、この時代には黎明期のアトラクションが並びます。
後に、絶望要塞の原型となる富士急ハイランド「武田信玄 埋蔵金伝説」などのように、レーザートラップをクリアするタイプのアトラクションが登場し、これが一大ジャンルを占めるようになります。上記でも使われている謎解きやミニゲーム、アクション、宝探しなど、様々な要素が組み合わされ、複雑なジャンルを構成していくことになります。
6. ‐30度など、低温体験タイプ
業務用の冷凍庫を改造したようなタイプで、全国の遊園地に設置されました。特に夏の暑い時期に重宝されるアトラクションです。おそらく日本発祥だと思われまして、夏休みが長く、集客のカギを握る時期であって、かつ耐えがたいほどに蒸し暑いという日本の気候が生み出した、地域特性に根差したアトラクションです。
内装を工夫したり、他の要素とミックスしたり、移動可能なコンテナタイプがあったりと、バリエーションはありますが、基本要素は「寒い」こと。それ以外にありません。
1988年の三井グリーンランド「アイスワールド」がおそらく初出で、これは西日本メンテナンスが導入したとされていますが、比較的参入障壁が低いこともあって、それ以降は多くのメーカーが群雄割拠状態。地方の遊園地では、上記の西日本メンテナンスのように、地元企業に依頼する例も見られます。
7. テーマを作り込み、その世界を見て回るタイプ
これは、テーマパークであればパーク全体がそういうアトラクションである、ととらえることもできますが、あえてアトラクションとして区切っている場合を考えます。
この時代の代表作は、やはり1993年東京ディズニーランドの「スイス・ファミリー・ツリーハウス」でしょう。人口の大きな木に生活スペースが作られ、それらを通路から見て回るというスタイル。オリジナルは1962年に作られていますので、できた当初から「何が面白いのかわからない」と思われた方も多いのではないかと思いますが、ある種セット見学のような気持ちで見るべきアトラクションだと思われます。
他にも童話のお話を見て回る、1996年志摩スペイン村パルケエスパーニャの「クエントスの森」、昭和30年代の街並みを再現した、1997~1998年みろくの里「いつか来た道」、あるいはナムコナンジャタウンのパークワイドアトラクションなどを代表例としてあげることができます。
8. 上記の組み合わせ
以上を組み合わせて作られるようなアトラクションもあります。
代表例は何といっても、1986年東京ディズニーランドの「シンデレラ城ミステリーツアー」です。ディズニーならではのディテールの作り込み、巨大で迫力のあるアニマトロニクス、ゲストが参加して敵を倒すシステムと、様々な要素が組み合わさっていました。
これに対して、この時代の日本の遊園地に設置されたアトラクションは、「世界観を体験させるためにどうするか」という発想ではなく、「特定の要素をどうアトラクションに落とし込むか」という発想が強く、どうしても単一の要素に頼りがちでした。
1997年フェスティバルゲートに設置された「オスマン帝国の秘宝」は、世界観の作り込みを前提として、ファンハウスらしいギャグ要素や宝探し要素も取り入れ、凝った作りになっていましたが、これも後が続きませんでした。
結局、遊園地の中に設置する場合は体験価値にコストを費やしたとしても、園全体の印象が低ければ、1日の体験価値が上がらないというジレンマの中で戦っていたために、複合型のウォークスルーアトラクションが多く設置されることは無かったと考えられます。そうした複合型のウォークスルーアトラクションが設置されるようになるのは、2010年代以降のことです。
オペレーション方法の類型
アトラクションのオペレーション方法も見ておきましょう。ウォークスルーアトラクションは、前方のグループに追いついてしまうことでネタバレにつながってしまうことがありますので、様々なオペレーション上の工夫がとられています。
大半のアトラクションでは、1人、あるいはグループごとに一定の間隔をあけて入場させる、送り出し方式を採用しています。ただ、グループごとに歩くスピード、見て回るのにかける時間が異なりますので、どうしても前に追いついてしまって、ネタバレによって楽しさが損なわれる可能性がある、というのがネックです。場合によっては、前方の客が次の部屋に進むまで扉がロックされるなど、強制的に間隔を調整する工夫がとられることもあります。
一方で、数十人程度の集団を部屋ごとに区切って送り出す方式もありまして、これは「シンデレラ城ミステリーツアー」のようなテーマパークのアトラクションや、ドアの開閉によって冷気が逃げる低温体験タイプのアトラクションで採用されることが多くあります。効率的なオペレーションが可能ですが、集団からはぐれる人が発生した場合の対処など、洗練されたオペレーションが必要になります。
博物館・美術館型の場合には、特にオペレーションは行わず、自由に入場して見て回るタイプを採用することが多いと考えられます。これは、特に他の入場者との干渉が発生しないためです。
このほか、大きな集団で区切って入場させ、その後は自由行動とするタイプもあります。これは、例えば「フォーチュンミュージアム」などでとられていた方法です。占い施設でありながら、「ミュージアム」という設定もあるため、初期設定に相当する入力をする端末は一斉に開放し、次の部屋では各々自由にミュージアムを見て回りながら入力する、という形になっていました。こちらもやはり、他の入場者との干渉は発生せず、個々人が占いをするための質問に答える、という形式だから実現したものだと考えられます。
結論
シンデレラ城ミステリーツアー以降であっても、日本のウォークスルーアトラクションは、どちらかというと古くからの伝統であるファンハウスのシステムを踏襲し、オペレーションもそれに倣っていました。
新機軸として、シューティングなど、ゲーム大国日本ならではの要素が取り入れられたアトラクションも作られていきまして、それらに関してはテーマ性に特化した装飾や世界観の作り込みが行われましたが、一方で、そこから遊園地のアトラクションへの波及は少なかった、というのが現実です。
遊園地の、特にウォークスルーアトラクションが深いテーマ性を得るのは、遊園地とテーマパークの境界がどんどん曖昧になり、エリアごとテーマ付与されるような遊園地が現れる、2010年代に至ってのことです。その観点では、みろくの里に1997年から作られた「いつか来た道」は、歴史上の特異点ととらえることもできます。これを単一のウォークスルーアトラクションと呼ぶかどうかには様々な意見があると考えますが、古典的な遊園地が園全体の体験価値向上に取り組んだ、先進的な事例であることは間違いありません。
遊園地が単なるアトラクションの集合体では立ち行かなくなっていく、そんな歴史をウォークスルーアトラクションは体現しているのかもしれません。
参考文献
[1] ジョン・F・キャソン「コニー・アイランド 遊園地が語るアメリカ文化」開文社 1987年