ローラーコースターの歴史3 – ローラーコースターの誕生

Author: Yu Shioji (塩地 優)
Article type: Commentary (解説)
Article number: 230004

この記事では、鉄道から転用されたローラーコースターの原型について解説した前回の記事に引き続いて、いよいよローラーコースターが誕生する瞬間を解説していきます。

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L. A. トンプソン

世界で初めて、いわゆるローラーコースターを製作したのは、L. A. トンプソン(LaMarcus Adna Thompson)という人物です。ただし、先にローラーコースターになり得るものの特許を取得したのは別の人ですので、トンプソンをローラーコースターの発明者とは呼べない点には注意が必要です。

トンプソン氏の肖像

LAトンプソンの肖像。例のごとく、著作権切れのため転載可です。この画像のダウンロード元はwikipedia

特許はどうあれ、やはり最初に世に出すことが大事。ローラーコースターを現実のものとしたL. A. トンプソンが「ローラーコースターの父」と呼ばれます。

このトンプソン氏は、もともとは発明家にして実業家。若かりし頃から両親のためにバター製造機を作るなど、様々な発明・工作をしていました。その後、一度は「継ぎ目のない」ストッキングを発明し、様々な企業に卸すことで財を成します。

しかしながら、もともと身体が弱かったにもかかわらず仕事に没頭したことから病に伏し、ストッキングの会社は手放してしまいます。しばらくは療養に集中することになるのですが、その際にローラーコースターの礎となったとも言われる、モーク・チャンク・スイッチバック・レールウェイを訪れています[2]。モーク・チャンク・スイッチバック・レールウェイについて詳しくは、第2回の記事を御覧ください。

トンプソン氏は長くじっとしていることが得意ではなかったようで、その後すぐに、コニーアイランドにモーク・チャンク・スイッチバック・レールウェイをぎゅっとコンパクトにしたようなライドを製作します。

それこそが、1884年に作られた世界初のローラーコースター、「スイッチバック・(グラビティ・プレジャー・)レールウェイ(Switchback Gravity Pleasure Railway)」です。

コニーアイランド

コニーアイランドというのは、その歴史だけで本が何冊もかけるほどに興味深い歴史を持っていますし、アメリカの古き良き遊園地の象徴のような存在でもあります。ここでは、トンプソン氏がスイッチバック・レールウェイを製作する前の様子だけ、ササッと見ておきましょう。

ニューヨークは入り組んだ海岸線がもたらす良港と、ハドソン川を中心とする幅のある川が縦横に走っている水運の良さで発展した街です。

そもそもアメリカの東海岸は、細長い砂州(バリアー島)が多く、砂浜がたくさんあります。ロングアイランド島の南西岸、ブルックリンの南端に位置するコニーアイランドも、その1つ(アイランドという地名ですが、ロングアイランド島と陸続きです)。

19世紀後半には、コニーアイランドはビーチリゾートとして開発されつつありました。まだ主な移動手段が馬車だった時代ですから、例え一年中温暖な気候ではなかったとしても、ビーチリゾートは街の中に位置する必要があったんですね。

開発初期は穏やかなビーチリゾートとしての開発で、夜はステージで音楽が演奏されている小屋で食事をしたりお酒を飲んだりと、現代のビーチリゾートとさして変わらぬ状況だったようです。遊具が導入されるようになったのは、1876年から。その年のフィラデルフィア万博会場に作られた、高さ90mの展望台が万博終了後にコニーアイランドに移設。さらに1882年には象の形をした複合商業施設「ザ・エレファント」がオープンします。これはショッピングエリア、ホテル、展望台などがくっついた施設。この少し前、1867年にはホットドッグがこの地で生まれたと言われています(諸説あります。現存するNathan’sは「発祥の店」ではなく、「現存最古の店」です)。

ちなみに、たまにコニーアイランドが路面電車の終点に作られた遊園地「トロリーパーク」の代表例として紹介されることがありますが、これは誤りです。ビーチリゾートが形成され、様々なライドアトラクションが設置されたあとで鉄道資本が入り、軌道がひかれています。結果的にトロリーパークのモデルケースとなった可能性は否定できませんが、鉄道利用を目的として開発されたエリアではないのです。

コニーアイランドの西側は、当時ビーチリゾートとして開発された高級なエリアでした。一方、東側は娼館などが立ち並ぶ、治安の悪いエリアだったようです[3]。そうした状況で、その一体を牛耳っている人にショバ代を払えば済んだからか、東側にいくつかアトラクションが作られはじめます。

その状況に乗っかるようにして、1884年、トンプソン氏のスイッチバック・レールウェイが作られるのです。

スイッチバック・レールウェイの人気

トンプソン氏のスイッチバック・レールウェイはこんな感じ。

スイッチバックレールウェイ

アメリカ初のローラーコースター「スイッチバックレールウェイ」。画像は著作権切れのため転載可。ダウンロード元はwikipediaです。

参考文献[2]にはライドの写真もありますので、気になる方はご参照ください(これもおそらく著作権は切れていると思うのですが、明記がないことと、編集要素が入っている場合は著作権切れに当たらない可能性があるため、掲載しません)。

コースレイアウトは比較的シンプルで、スタートしたらゆっくりと坂を下りながら、いくつかの山を超えていきます。最下点に到達すると、乗客は一旦降りて、係員が反対側の始点まで押し上げていったそうです。コースの両サイドは、2つのレールがポイントで1つに合流していますので、このコースターはMauch Chunk Switchback Railwayとは違って、本当に「スイッチバック」の要素を備えています。

ライドは横二人乗りの背もたれなしベンチが縦に4列。横に手すりがついているだけの簡素なものでした。車輪は鉄道と同じ、内側にテーパー(フランジ)の付いた鉄輪。ただし、テーパーはレールの歪みや横風等によって脱線しないようにするためのもので、車輪の向きを曲げることはできませんでしたので、カーブはほとんど曲がれない車両です。

最高速度は10 km/h以下。今の時代から見ますと、スリルなんて皆無です。それでも、当時1回5セント(現在の貨幣価値で1.25ドル = 130円くらい[4])という価格もあってか、大人気のライドとなります。

早朝から行列ができて、待ち時間は3時間を超えることもあったとか。1回5セントのライドで1日に600ドルを稼いでいたといいますから、驚きです。1日に述べ1万2千人もの人が乗車していたことになります。現在のローラーコースターはハケの良い大型のもので2000人/時程度ですから、それが6時間稼働した分を、人力でせっせと捌いていたことになります。

わずか10 km/hしか出ない、スリルもほとんどないようなライドがなぜそれほどの人気を博したのか、少し考えてみましょう。そこに「なぜ人はローラーコースターに乗るのか」という本質が隠れていそうです。

ライドとしては、STEP2というメーカーの子供向けすべり台を大型化したような乗り物です。

Extreme Thrill Coaster™

STEP2 Webページより(https://www.step2.com/extreme-thrill-coaster)

子供にとっては、これは今でも興味を引く、あれば乗ってみたくなる乗り物だと思います。

同じように、こういった乗り物を見たことがない、乗り物といえば馬車と蒸気機関車くらいだった人々からすると、坂を、車輪を使って下る乗り物は面白そうに思えたことでしょう。つまり、車輪を使って坂を下るということ自体が、人々の興味を引くというのが1つの理由。スリルを求めているのではなくて、単純に動きが面白そうだからというのが、ローラーコースターに人々が乗りたくなる理由の1つなのかもしれません。これはすなわち、今まで体験したことのない動きを体験してみたい、あるいは日常では体験できない動きを体験したい、という思いです。

ローラーコースターは、草の上を滑るソリなどとは比べ物にならないくらい、僅かな落差で大きく速度を増加させますし、ちょっとした山なら難なく超えることができます。自分の体一つでは絶対にできない動きですし、ただすべり台を滑るだけでは得られない、山をいくつも超えていく際のGの変化が外観から無意識に想像されますので、どうしても乗ってみたくなってしまうのです。

ただ、そこには国民性が現れます。例えばトンプソンタイプのスイッチバック・レールウェイが日本に導入されたのは、1890年のこと。上野で開かれた第3回内国勧業博覧会に設置されています。オリジナルからわずか6年で輸入されていたのには驚きです。話がそれましたが、その日本のスイッチバック・レールウェイは、それほど人気を博さなかったようなのです[5]。

その代わりに人気を博したのが、日本初の電車だったといいますから、日本人は動力の珍しさ、得体のしれない目に見えないものえの敬意と興味が強いのかもしれません。日本人は昔から、見た目から想像するより、スペックを見て判断する傾向が強かったのでしょうか。そこには産業革命が十分に浸透し、都市化も進展して遊園地が形成される素地があったニューヨークと、まだ明治維新から20年程度で産業革命も入ってきたばかりで、分業化もそれほど進んでいなかった東京、という2つの都市の違いもありそうです。都市化・産業革命と遊園地形成との関係については、本シリーズの第1回を御覧ください。

また、モーク・チャンク・スイッチバック・レールウェイへのあこがれもあったのではないかと思います。モーク・チャンクは観光地化されていましたが、それでもニューヨークから直線距離で150 kmも離れています。ニューヨークからの鉄道があったとはいえ、鉄道も現代ほど早くありませんので、庶民が日曜の休みにおいそれと行ける距離ではありません。

それでも、数少ない観光地の1つですから、評判は立っていたはずです。そんな評判を聞いて、いつかは行ってみたいなと思っていたところに、ブルックリンに同じスイッチバック・レールウェイを名乗りながら、5セントで乗車できるアトラクションができたのです。縮小版とはいえ、気軽に乗れる評判のライドに乗ってみたい、という思いはよくわかるように思います。

ただし、トンプソン氏のスイッチバック・レールウェイや類似機は、その後アメリカ全土、ヨーロッパへと販売されて人気を博していますから、初期の人気こそモーク・チャンクにあやかったところはあるかもしれませんが、その後はライドの動きそのもののおかげで人気を博していたのではないでしょうか。

最後に1点、走行中の目線の変化も重要です。スイッチバック・レールウェイ乗車中のGの変化だけなら、大型のブランコでも同じようなものを体験できます(むしろそちらのほうが激しい)。それでもスイッチバック・レールウェイに乗りたくなってしまうのは、視点の移り変わりが楽しそうに思えるからではないでしょうか。

これは、現代のコースターでも同じことが言えます。様々なGが不規則にかかるような回転系・スイング系アトラクションはいくつもありますが、それでも遊園地ではローラーコースターが一番人気です。そこには、視覚から得られる驚きや恐怖、爽快感なども関係しているのではないかと思います。

なぜトンプソン氏が先駆者となったのか

それでは、なぜトンプソン氏が最初にローラーコースターを設置することができたのでしょうか。実は、ローラーコースター関係の特許は、1882年ごろから複数取得され始めます。

すでに、この時点でローラーコースターは、「誰が一番最初に設置するか」という競争の中にあったのです。この競争が起こったこと自体は、上記のように車輪のついた乗り物で坂を下ることの楽しさに着目している人が多くいたからでしょう。

その中でトンプソン氏が先駆者となれたのには、以下のような理由があったと思われます。

  • 実業経験があり、かつ財があった
  • 実際に作り始めた
  • 楽しさの理想を追うより、現実的に作れる形で作り始めた

とにかく、作り始めること、それに必要な交渉事や金銭の工面などができることは重要です。そして、トンプソン氏のコースターの特徴は、なんといってもほぼ直線であること。両端で2つのレールが1つに合流するため、若干のカーブはありますが、従来の鉄道技術で超えられる範囲に抑えたんです。ほかの特許を見ていると、かなりきついカーブが見受けられます。こうしたカーブを実際に作ってみると、おそらく脱線が多発して新たな工夫を求められたのではないかと思います。トンプソン氏は現行鉄道技術の限界と本質を見抜いて、作れる範囲でスリルを演出でき、かつ効率的に運用できる構造を思いついたからこそ、先駆者となれたのです。

 

ライバルの出現と改良

トンプソン氏の成功において何より大きかったのは、「儲かった」ことです。当時はデザインこそしていますが、現代のような精密な設計や構造計算はありませんから、かかる費用は材料代と施工費、土地代だけで済みます。その施工費も、大工さんを数人~数十人雇ってくるだけでしょうから、今から考えれば相当に安上がりです。こうしてこの価格設定でありながら、しっかりと(莫大な)利益を出していたのです。

それを見てしまったら、実業家たちは黙っていられません。トンプソン氏のスイッチバック・レールウェイから数カ月後には、アルコーク氏(Charles Alcoke)が新たなローラーコースターを作ります。そちらはコースが端で切れること無く、一周したら元の位置に戻ってくるタイプだったそうです。

ただし、このときにも車輪の向きがレールに沿って変わるような機構は導入されていなかったと思われますし、その割に車両が長いので、相当マイルドなカーブが作られていたようです。速度についても、結局は人力で押し上げられるだけの高さしか得られませんから、それほど出ません。座席はなんと、横を向いていました。これは景色を見やすくするためだといいます。つまりこの頃のローラーコースターは、景色を楽しむのも1つの目的だったのです。

さらに翌年の1885年には、ヒンクル氏(Philip Hinkle)が新たなローラーコースターをコニーアイランドに設置します。今度は巻き上げ機構を有していました(手動だったのか発動機で動かしていたのかは不明ですが、蒸気機関が設置されたとは書かれていませんので、おそらく手動)ので、高さをより高くすることができ、速度も増したようです。座席も前を向いた形になって、景色よりもスリルが重視される時代がやってきます。

コニーアイランドではありませんが、1887年マサチューセッツ州ヘイヴァーヒル(Haverhill, ボストンから北に直線50 kmほど)に設置されたスライディングヒル・アンド・トボガン(Sliding-Hill and Toboggan)は、その名の通りソリ(Toboggan)で滑降するコースターでした。まず屋内型スケートリンクの建物内にコースがあった、というのも驚きなのですが、なんと車輪のない6人乗りのソリに乗って、ローラーすべり台を滑り降りるものでした。ローラー滑り台である以上、カーブを曲がるときの抵抗が大きくいですし、ローラーにいちいちエネルギーを与えていってしまうために通常走行時の抵抗も大きいため、速度が出ません。さらに敷設コストも高いですから、ローラーコースターとしては普及しなかった形式です。

8の字型に坂を下っていく(立体交差がある)のもこのコースターが初。巻き上げはなく、エレベーターでソリごとスタート地点へ持ち上げる方式でした。エレベーターには床を傾けてスタートさせる機構まで付いていて、なかなか良く考えられています。

こうしてライバルたちが次々に、様々なアイデアを持ち込んで、目新しいコースターを作っていきました。

トンプソン氏とシーニック・レイルウェイ

さて、ライバルが現れたことでトンプソン氏の収益は落ち込んでいきます。これに対して、1885年には次のアイデアを具現化することに着手していたそうです。

1887年、アトランティック・シティのボードウォーク(これもまた砂浜脇です)に全く新しいローラーコースターをオープンさせます。これが、「シーニック・レイルウェイ(Scenic Railway)」。

Scenicというのは景色が良い、といった意味ですから、ここに至っては車窓を眺めることが主目的になっています。ただし、自然の風景ではありません。

人口の岩山の中を走り、時にはミニチュアのピラミッドやスフィンクス、世界の名所のミニチュアの前を通過し、時にはトンネルに入るときらびやかな電飾が灯るエフェクトがあったりしました。

このシーニック・レイルウェイのシリーズは大ヒットして、アメリカ全土、欧州、インドなどにも作られます。

このうち、コニーアイランドに1903年にオープンした遊園地「ルナパーク」に設置されたコースターは、ファサード(建物の外壁部分)に立体のドラゴンが鎮座していて、その足元をくぐって乗車口へと進むように作られていました。

こうした作りは、今で言うダークライドのはしりと言えるでしょうし(世界初のダークライドと言われる”Trip to the Moon”は1901年製です)、あるいはビッグサンダー・マウンテンやスペースマウンテン、BMR-Xなどのテーマ性のあるローラーコースターの元祖とも言えるでしょう。これを130年も前に作っていたトンプソン氏の先見の明には恐れ入るばかりです。

このシーニック・レイルウェイの時代には、既に巻き上げには蒸気機関が使われていますし、コース中には当たり前のようにカーブが導入されるようになっています。

大ヒットを収めたトンプソン氏のシーニック・レイルウェイでしたが、時代は徐々にダークライド的要素よりも、シンプルにローラーコースターの動きによるスリルを求める方向へと動いていきます。そうしたお話は、このシリーズの後の回に譲ることとします。

トンプソン氏は、ローラーコースターの黄金期と言われる1920年代を見ること無く、1919年に亡くなっています。

次回は、ローラーコースター誕生後、様々なアイデアが花開いた時代を見ていきます。

参考文献

本解説記事は、その多くを以下の文献に依拠しています。

[1] “The Incredible Scream Machine – A History of the Roller Coaster,” Robert Cartmell, Amusement Park Books, Inc. and the Bowling Green State University Popular Press (1987).

そのほか、下記文献も参考にしています。

[2] “Roller Coaster – Wooden and Steel Coasters, Twisters, and Corkscrews,” David Benett, Chartwell Books, Inc. (1998)

[3] “Ultimate Rollercoaster.com” https://www.ultimaterollercoaster.com/coasters/history/ (2020年6月19日閲覧)

[4] “The Inflation Calculator” https://westegg.com/inflation/ (2020年6月19日閲覧)

[5] 「遊園地の文化史」中藤保則、自由現代社(1984)

引用方法

引用時は、下記を明記してください。

Yu Shioji, J. Amusement Park (2023) 230004.

 

利益相反

本稿に関わる利益相反はありません。

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