遊園地はなぜ楽しいのか – 遊園地の歴史的変遷から考える

Author: Yu Shioji (塩地 優)
Article type:
Article(研究)
Article number: 250003

遊園地は、19世紀末の誕生以来、多くの人を惹きつけてきました。現代でも子供を中心として、休みの日にお出かけしたいスポットの代表格であり続けていますし、実際に遊園地に赴けば、ほとんどの人が笑顔になっています。そうした楽しさの源泉を、遊園地の歴史をたどることで考えてみたいと思います。もともと、遊園地は単なる乗り物の集合体ではありませんでした。人種を超えて多くの人が集まり、人と人の交流が生まれる仕掛けがあり、趣向を凝らしたショーもあり、電飾もあり。遊園地で火事が起きたら、火事や焼け跡の見物にお金を取る。そんな、なんでもエンターテイメントに変えてしまう場所が遊園地だったのです。そんな何でもありの状態から、徐々にそぎ落とされて、乗り物の集合体へと変化を遂げる過程、テーマパークが誕生して進化する過程を追うことで、現代の遊園地の本質的魅力に迫ります。

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エンターテイメントの集積地

遊興の地として、エリアを囲ってエンターテイメントを提供する試みは、中世の祝祭の場にまでさかのぼります[1]。また、同じようにエリアを囲ってエンターテイメントを提供した常設の場は、ロンドンのボクスホール(発音はヴォクソールに近いと思いますが、自動車ブランドと同じ表記にしています。スペルはvauxhall)という場所に、17世紀中ごろに作られます。これらは、まだ公園色の強い場で、エンターテイメントを集積するというよりは、人と人とが交流する媒介としてエンターテイメントを使っていたのであって、まだ機械仕掛けの遊具もほとんどありませんでした。少なくとも、動力を使った遊具は無い時代です。

動力が使われるようになるのは、当然ながら産業革命後です。蒸気機関が発明されて初めて、機械を人の手ではなく、動力を使って動かせるようになります。その機械が遊園地の遊具に導入され、なおかつ複数の遊具を敷地で囲って楽しませるようになったのは、米国、ニューヨーク近郊のコニーアイランドが初めてです。19世紀末に、現代と同じような形の遊園地が誕生します。

この時代の遊園地は、現代のように乗り物がありながらも、現代とは異なる点が多数あります。まず、パーク中央にウォーターシュートを配置するなど、非常に美しい景観を作りこんでいます。景観を楽しむことも、1つのエンターテイメントであったと考えられます。

Luna Parkの景観。wikipedia[2]が出典ですが、パブリックドメインです。

また、当時最先端だった電球を使って、イルミネーションが施されていました。夜間にこれを見物するだけ、という楽しみ方もあったのです。

Luna Parkの電飾。wikipedia[2]が出典ですが、パブリックドメインです。

また、「ギャグ」というものもあります。例えば、外からパークに入るとき、足元に回転するタルがあって、転んでしまうように仕向けてあったり、下からエアーを吹き付けて、スカートがめくれるように仕込んであったり。あるいは、人間が寝そべった状態で大きなルーレットを回転させて、遠心力で放り出されていったり。そうして恥をかく人を、見物する人がいるという構図。現代からすれば、下衆で、危険性も高いのですが、当時は劣悪な労働環境や規律の厳しい社会環境という抑圧からの解放の場として[3, 4]、そうした下衆さが喜ばれ、受け入れられていました。現在でもファンハウスなどに一部のギミックが残っていますが、当時はそうしたギミックがそこら中にあって、見物することも1つのエンタメになっていた、というのが現代との大きな違いです。

現代から見ると、さらに下衆に思えてしまうのが、ショータイプのエンタメです。当時、マンハッタン南部にはスラムがあり、富裕層はそこを見学するツアーを行っていました。そのスラムでは、火事が頻発。コニーアイランドには、スラムの有名な建物を模した建物が作られ、火事とその消火をスペクタクルにしてしまったのです。1904年のことです。1905年には、日露戦争を描いたスペクタクルも展開されています。後には、火事で燃えてしまった遊園地が、焼け跡の見学に料金を徴収したこともありますし、調教師を殺してしまった像を殺処分するところの観覧に料金を徴収したこともありました[5]。何であっても人が楽しめるものは、お金を取って楽しませる、という精神が感じられます。

この時代、ローラーコースターは、極めて装飾的な方向に向かっていました。”Scenic Railway (景色の良い鉄道)”として人気を博した[6]ローラーコースターは、雪山を走行したり、あるいはドラゴンが鎮座する洞窟内を走行したり。あくまで、「重力で走る鉄道」だったローラーコースターは、遊園地にあっても、「鉄道の景色をいかに進化させるか」という発想が根底にあったのです。

このように、初期の遊園地はライドアトラクションがあるだけではなく、あらゆるエンターテイメントを寄せ集めた、「楽しいもの」をすべてかき集めた場所でした。

その背景には、文化的・社会的な事情があります。当時は産業革命以降の過渡期で、労働者階級の方は劣悪な労働環境下での長時間労働と、高密度化した住宅地、抑圧的な社会環境の下で、そうした環境から解放される場が求められていました。当時コニーアイランドを訪れることができたのは、中産階級でしたが、それでも現代からすれば劣悪な環境です。また、単なる安息日ではない、休日という概念が生まれ、移動手段も高速化しつつあったことで、休日に人々が集う場所も必要とされていました。そうした中で、ある種の売春に近い環境が生まれ、また、当時としては珍しく様々な人種が入り乱れるカオティックな空間でした。現代もストレス社会と叫ばれて久しい状況ですが、それ以上に肉体的にも精神的にも過酷な状況下で、道から外れれば社会的、あるいは身体的な死が待ち受ける状況。そうした状況で精神、あるいは肉体をすり減らしながら生きる人々の、あらゆる欲求を爆発させる場だったのです。このため、誰もが立場的に上にもなり、下にもなるシステムがあり、また、人の不幸とそこからの脱出をコミカルに描いたエンタメが成立していました。

こうした状況に終焉をもたらすのは、いつの時代も、強力なライバルの登場です。

競合の隆盛とライドアトラクションへの特化

1914年に始まった第一次世界大戦が、そうした状況を一変させました。開戦以来、徐々に参戦への機運が高まり、参戦すると5万人以上が戦死。戦場にはなっていないものの、人々が戦争モノのスペクタクルを好むなど、嗜好の変化が訪れます。この時期に、ヨーロッパから映画製作者たちが米国に移住したこともあって、1920年台にはハリウッドが黄金期を迎えます。1度の撮影で、非常に多くの観客に上映することができる映画は、ライブエンターテイメントと比較して、多くの予算を投じることができました。これによって、人々の興味は映画へと移っていき、遊園地のライブエンターテイメントは勢いを失うことになります。

「ギャグ」の類も同様で、これらは劇場型から体験型へとシフトを進めます。すなわち、ギャグにかかっている人を見るのではなく、自分が体験するだけのものへと変わっていくのです。こうして、ギャグは壁で囲われ、各個人が体験するだけの「ファンハウス」へと形を変えていきます。実際に、ファンハウスの傑作と言われる”Noah’s Ark”(ノアの箱舟)は、1919年頃から作られ始めます。

1920年台は、第一次世界大戦の終戦から世界恐慌へと至る間の、投機ブームの時代です。こうした好景気の下では、レジャーへの投資も盛んになります。ただし、前述のように映画産業が黄金期を迎えていますから、ライブエンターテイメントへの投資は集まりません。遊園地では、それ以外、乗り物に特化した投資が行われていきます。

ローラーコースターも、景色を重視する”Scenic Railway”から”Rollercoaster”へと変わり、純粋に重力変化を楽しむ乗り物へと変わっていきました。より根源的な面白さに特化する方向にシフトしています。その過程でスリルを追い求める方向性もあり、看護師が常駐する過激なコースターが作られたり、今でも名機として知られるConey IslandのCycloneが生み出されたり、といった時代でもありました。根源的な方向性に特化し、その強度を増していったわけです。

乗り物の楽しさは、本能的・根源的なものです[7]。このため、ある程度の知的解釈が必要になる、20世紀初頭のライブエンターテイメントと比して、低い年齢層でも楽しめる、あるいは低い年齢層の方が楽しさを感じやすいものです。1929年の世界恐慌を経て、遊園地が次々に潰れていくと、生き残ったのは大型の施設か、あるいは根源的に楽しさを感じやすい家族層向けの施設でした。こうして、遊園地は子供たちのものへと姿を変えていくのです。

ディズニーランドの誕生とライブエンターテイメントの復権

次に遊園地業界に大変革がもたらされるのは、1955年にディズニーランドが開園した時です。ここは、子供向け施設の延長線上にありながら、大人が本気で、自分が楽しめるものを作った施設で、遊園地にあらゆる年代の人たちを連れ戻すきっかけになりました。ここではライブエンターテイメントも、その演出技術が徐々に培われ、パークの中核を担うレベルへと進化していきます。ただし、ここでのライブエンターテイメントは、従来の何か現実にあるものを(空想を交えながら)再現する手法とは全くの別物でした。

ディズニーのライブエンターテイメントは、主として音楽とダンスによって構成され、ストーリーがほとんど、あるいはまったくないものだったのです。こうした演目は、従来からレヴューとして知られてきましたが、ディズニーはここにキャラクターや、映画の音楽などの著名なIPを持ち込み、映画の空気感を追体験し、あるいは世界観を拡張できる、映画と共存できるエンターテインメントへと進化させたのです。

この手法が成功したことによって、あるいは映画のダイジェストを紹介するライドアトラクションが次々に成功を収めたことによって、ライドアトラクションにもIPの活用が広がり、乗り物も何らかのコンテンツと共存する方向へとシフトしていきます。根源的な面白さを持つライドアトラクションに、IPを被せることによって、「乗車体験」と「没入体験」が共存し、時には混ざり合うようになるのです。乗車体験はリアルな空間でしか得られないものとして、没入体験もやはり空間全体が装飾されて成り立つために、家や映画館では体験できないものとして、人気を博していくことになります。

2極化と今後の方向性

その後は、ライブエンターテイメントや没入型アトラクションが多数存在するテーマパーク型と、ライドアトラクションを主体にした遊園地型に大きく2極化していくことになります。前者は設備投資が重く、一時は苦戦することもありましたが、圧倒的なブランドイメージを築き、現在では圧倒的な収益を実現しています。一方で、前者と比較すれば設備投資が軽い後者は、競合との競争や市場の縮小もあって、新興国を除き、数を減らす方向にあります。

この傾向を大きく変えるような製品も誕生していなければ、あるいは経営的な革新も起きていませんので、この先、こうした傾向に変化が訪れる兆しはありません。一方で、テーマパークの没入型ライドアトラクションは、遊園地的な動きの楽しさの魅力を捨てることなく、むしろその楽しさを磨く方向にあります。ライドアトラクション本編とは関係のない、大きな前後左右の揺れを取り入れるなど、ショー的演出だけではなく、根源的な楽しさを組み合わせた、複合型のアトラクションの方向性を突き詰めています。

対して、大型テーマパークのライブエンターテイメントに大きな進展は見られていません。期間限定や、体験人数を絞ったショーとして、新しいモデルがトライアルされることはありますが、大型テーマパークの人数スケールでは実現できていない状況です。

今後も、知的活動を要するライブエンターテイメントから、可能な限り知的要素を取り除き、直感的に楽しめるように工夫された、IPを活用したレヴュー型の演目と、根源的な動きの楽しさがあるライドアトラクションの2軸が残り、その融合が進んでいく傾向に変化は無いと考えられます。「キャラクターを見る」「作品の空気を感じる」という楽しさと、動きを楽しむという2つの方向性を突き詰めてきたテーマパークと遊園地。それらは異なる感覚器を刺激するため、相乗効果を狙う方向へと進みます。ただし、遊園地が誕生した当初の、”Scenic Railway”などと比べれば、視聴覚的演出も、重力変化も、楽しさをそれぞれ突き詰めていますので、まったく異なる次元へと到達しています。遊園地が誕生した当初から、本質的な楽しさの方向性は変わらず、それらのレベルを上げていく、という正統進化が今後も続いていくと考えられます。

参考文献

[1] S. M. Silverman, “The Amusement Park”, 2019
https://www.amazon.co.jp/Amusement-Park-Thrills-Dreamers-Schemers-ebook/dp/B07H3291HY?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&crid=3CIP2XLK5ZCM9&dib=eyJ2IjoiMSJ9.fdrF0quEIFdr4bbL4ypcNQ.PI8v7tbilCV0b3K_KF2uphuv2P6xaT6HMOrAAAq-5qI&dib_tag=se&keywords=Silverman+amusement+park&qid=1739186535&sprefix=silverman+amusement+par%2Caps%2C175&sr=8-1&linkCode=ll1&tag=sounandesu-22&linkId=aa7e420cc984c1bc6e8dad7b3ca05e34&language=ja_JP&ref_=as_li_ss_tl

[2] wikipedia “Luna Park (1903 Coney Island)”, 2025年2月11日閲覧

Luna Park (Coney Island, 1903) - Wikipedia

[3] J.F.キャソン、「コニー・アイランド 遊園地が語るアメリカ文化」、1987

[4] 坪野圭介、「遊園地と都市文学」、2024

[5] History of Coney Island “Coney Island – Luna Park”, 2025年2月11日閲覧

Coney - Luna Park

[6] Yu Shioji, J. Amusement Park (2023) 230004.

[7] Yu Shioji, J. Amusement Park (2025) 250001.

引用方法

引用時は、下記を明記してください。

Yu Shioji, J. Amusement Park (2025) 250003.

利益相反

本稿に関わる利益相反はありません。

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