Author: Yu Shioji (塩地 優) Article type: Commentary (解説) Article number: 230010
円筒型レールの発明(本シリーズ第7回参照)から20年ほど経って、ループコースターが再び世に現れる(本シリーズ第8回参照)と、円筒型レールによってローラーコースターの可能性が大きく広がっていることに人々が気づき始めます。
そうなると、いろいろ試して見たくなるのが人の性。まさにローラーコースターが世に現れてしばらくたった1900年代初頭のように(本シリーズ第4回参照)、様々な試みが行われるようになります。
またもキワモノが乱舞し始めるのです。その多くは粗削りで乗車感よりもインパクトを優先したものでしたが、一部には思いもよらぬ発見があって、現在でも活用・製造されているものがあります。
今回は、そうした1980年代、1990年代のキワモノコースターたちをご紹介していきましょう。ここからは現代史ですので、ストーリーもなく事実の羅列になってしまいます。ご了承ください。
サスペンデッド・コースター
サスペンデッド・コースター(ぶら下がり型コースター)と言っても、今もよく見かける足ブラブラタイプのことではありません。ライドは箱型で一般的なローラーコースターと同じような形のものが、レールからぶら下がっているタイプです。
この時代、常に新しいことに挑戦し続けていた企業の代表格が、円筒型レールを生み出したArrow社です。やはり鋼管をレールに最初に適用したアドバンテージもあってか、平型レールのローラーコースターでは実現できないような形態を次々に生み出していきます。
その代表例がサスペンデッド・コースターです。
1975年にコークスクリュー1号機を設置したArrow社は、一躍ときの企業となって、コークスクリューやその派生機の製造で大忙しとなります。そんな中、1981年に次なる手を打って出ます。
単に車両をレールの下にぶら下げただけなら、何も面白くない(厳密には、レールとライドとの距離を長く取れば、ライドの動きはレールの上にあるときとは大きく違ってきますので、面白いことは面白いのですが、マニアでない人にその面白さが理解できるかと言われると微妙なところです)のですが、Arrow社はなんとライドが左右にスイングできるようにしたのです。
カーブで遠心力がかかると、ライドは外側に振れ上がります。このような動きにすることで、まるで鳥や飛行機のような動きを体験できるようになったのです。レールに沿った強制的な動きが魅力のローラーコースターに、自然な揺れを追加することで、爽快感重視の楽しいコースターに仕上がっています。
この構造は、円筒型レールがなければ実現しなかったものです。
以前の記事でご紹介しました通り、円筒型レールはそれ単体の剛性が高いので、レール周辺に複雑な補強を必要としません。一方、薄くて平たい鋼の板を使う場合は、レールの下にサポート構造をしっかりと組み上げる必要があります。そうすると、レールの下にライドを通すなんてことは絶対にできないのです。
Arrow社がレールの下にライドを通した最初の企業になったことは、円筒型レールを初めて開発したこととつながっているのです。
1号機は「Bat」という名前でKings Islandに導入されました(現在同遊園地にあるのは2代目です)。コウモリの飛行をイメージしていたようです。
実はこのBat, 様々な問題を抱えていました。1号機であるがゆえのトラブルが多発したのです。
例えば、カーブでライドは自然に振れ上がって、無理な遠心力が乗客にかかることはありませんから、むしろその動きを楽しめるように、カーブでもレールにカントを付けませんでした。その結果、車台の軸(おそらく車輪周りの軸)に無理な負荷がかかってしまったのです。このため点検頻度を上げなければならかったり、メンテナンスに手間がかかったりといった問題を発生させてしまいました。
また、レールはライドより上にあるにも関わらず、今までの例を踏襲して、ブレーキフィンをライド下部に付けてしまいました。車両の固定軸であるレールから大きく離れた位置にブレーキを付けてしまったため、ブレーキ時にとんでもないモーメントが車両を襲うことになってしまったのです。これもまた消耗品の劣化を早めたり、点検頻度を上げなければならないといった問題を生みました。
さらにさらに、横揺れを収束させるためのダンパーの付け方が悪くて、それもまたすごい頻度で交換が必要だったとのこと。
こうしてコストが嵩んだことから、わずか2年後の1983年には営業を終了してしまいます。
その後、1984年から改良型が作られるようになりまして、東京サマーランドの「はやぶさ」を含めて全10機が作られました。
同じタイプのコースターはArrow社の流れをくむVekoma社も製作していまして、そのうち1機がグリーンランドに「グランパスジェット」として現存しています。
現在でも、Zamperla社は子供向けのサスペンデッド・コースターを製作していますし、また、Vekoma社はライドの揺れる軸やダンパーの付け方を工夫した足ぶらぶらタイプのサスペンデッド・コースターを製作しています。
Caripro社のバットフライヤー(那須ハイランドパーク、浜名湖パルパルにありました)が会社の倒産によって次々に失われた今、日本に残っているサスペンデッド・コースターは上述のグリーンランドと、八木山ベニーランドのZamperla社製「エアロ5」くらいなのですが、世界的にはまだまだ忘れられていない、楽しいライドシステムなのです。
立ち乗りコースター
ここでついに、日本のメーカーが歴史に登場します。我らがトーゴ社です。
もともとは東洋娯楽機械という会社で、略してトーゴ。その成り立ちは参考文献[1]や[2]に詳しいので、ここでは深く述べませんが、花やしきの「ローラーコースター」やとしまえんの「サイクロン」など、古くから日本のローラーコースター界を牽引してきた企業です。
1970年代に入ると、見るからにシュワルツコフをリスペクトした「ボブスター」シリーズを製作。さらに、Arrow社リスペクトのコークスクリュータイプなど、様々な企業のスタイルを吸収していきます。
オリジナリティーを発揮し始めたのは、1981年頃から。東武動物公園に「クレイジーマウス」を設置します。名前は「マウス」系ですが、なんと途中に垂直ループを配置。途中にワイルドマウスっぽい動きあり、終盤にシュワルツコフ系ワイルドマウス風の動きありと盛りだくさんのコースターでした。後にコークスクリューが途中に追加されたりして、なかなかワイルドな進化を遂げていきます。1997年には現代型ループコースターの元祖、ナッツ・ベリー・ファームにも輸出されました。
そして1982年。世界に衝撃を与えるコースターが誕生します。それが、立ち乗りコースターです。
最初に導入されたのは、よみうりランドです。もともと1979年に、日本で初めて垂直ループを有するコースターとしてオープンしたものに、立ち乗りライドを追加したのです。そもそもファーストドロップ、垂直ループ、水平ループくらいしかないコンパクトなコースターでしたので、インパクトが薄れつつあったところへのテコ入れでしょう。
立ち乗りは、シンプルながらもクレバーなシステムで実現されています。人間は、ループコースターの大きな荷重であっても足か腰であれば、支えることが出来ます。ですから、立ち乗り自体は無理な姿勢ではありません。しかしながら、上半身だけを拘束した状態だと、膝を曲げることが出来てしまいます。負荷に負けて、あるいは怖くなって膝を曲げてしまうと、上半身を拘束しているハーネスで体重を支えることになって、重大なケガに繋がります。そこで、しゃがみこめないようなハーネスが必要となります。先程述べました通り、体重を支えてよいのは足でなければ腰(骨盤)です。立った状態で、骨盤を支えるハーネスが必要なのです。そう言われると、思い浮かぶのは自転車のサドルではないでしょうか。まさにそんな感じの座面を用意して、さらに腰を押さえるハーネスを設置、上半身を挟み込むハーネスも用意することで、安全な立位乗車を実現したのです。ただし、サドルの位置は人によって変更する必要がありますので、ハーネス全体が上下動できるように設計されています。ハーネス高さの調整から2つのハーネス固定までを短時間でできる、非常によく考えられたシステムになっています。
この時代は、まだまだコースレイアウトに工夫をしよう、という時代でした。前年のArrow社のサスペンデッド・コースターでぶら下がり式という新しいライドが開発されましたが、それ以外はほぼ全て座位です。一部にボブスレータイプの縦乗りはありましたが、その程度という時代。
そんなときに立位のコースターを開発したのですから、かなりの驚きを持って受け止められたようです。立位は座位と比べて重心が高くて、速度感こそ下がりますが姿勢の不安定感が高いので、慣れないとスリルが増したように感じます。特に、ドロップ時にスカイダイビングのような姿勢で落っこちる感覚を味わえたり、Gがかかる場面では膝で荷重を感じられたりと、メリットもたくさん。
そんなわけで、開発からわずか2年で輸出されます。アメリカのKings系列に2機、カナダのCanada’s Wonderlandに1機、合計3機が海を渡りました。特にKings Islandは、上述のBatがわずか2年で1983年に営業終了となってしまった遊園地。その翌年、1984年に主力機級の扱いで導入されているんです。ローラーコースターの本場、アメリカで真っ向から勝負できた、初の日本産ローラーコースターとなりました。
ちなみに北米に輸出された3機は、ディテールに違いはありますが、ほぼ同じコースレイアウト。これと同じタイプのコースターが日本にも設置されています。もともとは1985年、つくばの国際科学技術博覧会に設置されたものなのですが、閉会後に移設されて、現在でもブラジリアンパーク鷲羽山ハイランドで乗ることが出来ます。
こんなコースターが誕生したの背景には、世間に先んじて導入したつもりだった垂直ループコースターが、わずか数年で陳腐化してしまったことによって、よみうりランドが焦ってトーゴにインパクトのある改造を依頼したことがあったのではないでしょうか。既存のコースターを改造するという制約から生まれたと思われる、苦肉の策のライドが世間にこれほどのインパクトを与えるとは、何とも不思議なものです。
一方で、名機ではあるのですが、惨憺たる事故も引き起こしています。エキスポランド閉園のきっかけとなった「風神雷神Ⅱ」の事故がそれです。詳細は語りたくないほどに悲惨な事故でした。主たる原因はエキスポランドのずさんな検査体制にありますが、そもそもトーゴの設計では車軸にかかる繰り返し応力の見積もりが甘かったとも言われています。車軸周りは既存コースターの流用でしょうけれども、立ち乗りになったことで重心が高くなって、車軸にかかるモーメントが大きくなったことを計算しきれていなかったのが原因の1つと言えるのかもしれません(詳細な数値データを持ち合わせていないので、正確なところは不明です)。
その後、スイスのインタミン社が1986年から、インタミン社から独立したB&M社が1990年からスタンディングタイプのコースターを製造していました。最終的に1999年まで、10年以上に渡って製造された人気コースターです。
しかしながら、見た目のインパクトほどはスリルが無いこと、どうしても上半身を押さえ付けるハーネスが必要になるために開放感にかけることなどを原因として、2000年代に入ると製造されなくなってしまいます。「姿勢を変える」という着眼点は良かったのですが、インバーテッド・コースターやフライング・コースターほどのインパクトを残せずに終わってしまいました。
パイプライン
お次もトーゴの発明です。
通常、スチールコースターのレールは、レールと平行に走る支柱と梁やトラスで繋がれています。これによって、レール間の距離を一定に保つとともに、レールだけでは不足する剛性を補っています。
この目的を達成するだけであれば、必ずしもスチールコースターの定型にこだわる必要はありません。力のかかる方向を無視すると、最も剛性が高くなるのは断面が円形のときです。さらにその断面積が広いほど強くなります。ということは、例えばローラーコースター全体を覆ってしまうほどの巨大な鋼管の中にレールを設置してしまえば、目的は達成できます。しかしながら、これだと外の景色が見えなくなってしまいます。
そこでトーゴは、鋼管ではなく鋼のリングを設置しました。リングを複数設置して、その中にレールを接続することで、十分な剛性を得たのです。
この構造の利点をご理解いただくためには、少々ややこしい話をしなければなりません。
ローラーコースターは、カーブに差し掛かると車体を曲がる方向へ傾けます。これは、遠心力と重力の合力が、乗客の身体の軸(背骨のライン)から大きくずれないようにすることで、身体が左右に振られることを防ぐためです。ここまではどのコースターでもやっていることなのですが(ワイルドマウス系を除いて)、レールの傾け方にはいくつかの種類があります。
最も単純なのは、2本のレールの真ん中少し下を走る支柱を軸にして傾ける方法。これは古いローラーコースターに多いタイプです。乗客の身体は支柱から大きく離れていますので、支柱を軸に傾けると乗客の身体は大きく揺さぶられます。設計や施工は簡単なのですが、乗り心地が悪いです。
続いて、2本のレールの真ん中か、イン側のレールを軸にして傾ける方法もあります。こちらはどっちつかずなので、最近ではあまり使われなくなった手法です。支柱を中心とする方法と比べれば少しマシですが、やはり乗客の身体がレールから大きく離れているために、身体が揺さぶられて乗り心地が悪くなります。この2種類は、パット見では区別が難しいのですが、例えばひらかたパークの「レッドファルコン」は明らかに後者です。
もう1つは、乗客を中心にレールを傾ける方法です。こうすると、乗客は常に回転の中心にいますので、大きく揺さぶられることなく自然に身体が傾きます。最近では当たり前のように使われていますが、レールや支柱がすべてバラバラな形状になりますので、設計や加工の難易度が高いです。特にレールや支柱など、鋼管の曲げ加工の精度と技術が問われますので、ズバリ技術力勝負です。それほどの技術力とノウハウが無かった時代には、難しい手法でした。ですが、リング構造を使えばそんな難しいことが比較的簡単にできてしまうのです。リングの中心を乗客の身体の位置に置けば、リングに沿ってレールを傾けていくことで、傾きの中心は乗客の身体になるのです。
もちろん、カーブだけに限った話ではありません。例えばひねり回転をする場合。支柱やレールを軸にとってしまうと、乗客の身体には外に放り出される方向の遠心力がかかって、身体を強くハーネスに打ち付けることになってしまいます。しかしながら、回転中心を乗客の身体にとれば、遠心力はほぼかかりませんので、ケガもなく「ふわっ」と回転することができます。
トーゴはまさに、このひねり回転を実現するためにリング構造のコースターを製作しました。その1号機は、1985年後楽園ゆうえんちに設置されています。その名も「ウルトラツイスター」。垂直巻き上げ、85度の落下、キャメルバックを超えて2回のひねり回転。さらに一旦停止してバック走行を初めて1回ひねり回転、と非常に過激な内容を、レール1本分のコンパクトな敷地に詰め込んだコースターです。
ちなみに、リング構造であってもレールの加工はかなり大変です。そこでトーゴは、レールを回転中心の真横に持ってくることで、左右のレールが対称な動きをできるようにしています。このような、身体の真横にレールが来るようなタイプを「パイプライン」と呼びます。ただし、レールが回転中心の真横にあって、回転中心は人の身体ということは、身体の真横にレールがあることになってしまいます。そうすると乗降ができなくなってしまいますよね。そんなわけで乗降ができるよう、プラットフォームではレールを途切れさせました。しかしそうすると今度は、1本のレールだけでは車両は支えられずに傾いてしまいます。そこで、車両の下に補助輪をつけて、プラットフォームでは車両下にもレールを配置したのです。なんともまぁややこしい構造を作ったものです。
パイプラインにはもう1つ利点があります。ひねり回転などのエレメントでは、地面から垂直に伸びる方向の支柱の使い方がややこしいのです。通常位置では支柱は下、90度振れ上がったら横、180度回転したら横を通して上から吊るす、270度回ったら反対側の横、最後は下に戻る、といった形で支柱を組まなければなりません。ですが、パイプラインならリングを設置してしまえば、あとはリングの固定はすべて同じタイプの支柱で良いのです。構造が簡単!
ウルトラツイスターはやはり強いインパクトを与えました。アメリカにも1機が輸出されましたし、狭い敷地にスリリングなコースターを設置したい日本の遊園地もこぞって導入しました。後ろ向き走行をしない、より過激なタイプ1機(現在はルスツリゾートで営業中)を含む全7機が製造されています。通常版は、ブラジリアンパーク鷲羽山ハイランド、ナガシマスパーランド、グリーンランドで乗ることが出来ます。しかしながら、新たな進化を遂げることはなく、1代限りで終わってしまいました。ウルトラツイスターは車両構造的にカーブができないため(厳密には真横を向いた状態でのカーブや、オーバーバンクターンなどはできます)、コースレイアウトに発展性が乏しい、というのが1つの理由だと思われます。また、大型化するにはプラットフォームまわりの構造がややこしすぎますし、それに対して得られるメリットが少ないことも理由の1つだと思います。
パイプライン型はインタミン社も一時期製造していましたが、現在では使われなくなってしまいました。その理由はシンプルで、技術が進歩したから。CADによる設計が当たり前になって、コンピュータのスペックも上がりましたので、ややこしい設計も比較的容易に(と言ったら怒られそうですが、計算の手間だけは以前よりも少なく)できるようになりました。さらに、ヨーロッパ系の企業に代表されるように高い鋼管曲げ技術を獲得していったことで、複雑なレール形状であっても難なく製造できるようになったのです。上に写真をあげた「カワセミ」のインタミン社が代表格です。
なお、トーゴ自身はその後もリング構造を使い続けました。日本では浜名湖パルパルの「メガコースター四次元」で体験できますし、海外ではSix Flags Great Adventureにあった「Viper」で使われていました。
ハイパーコースター
続いて歴史に登場するのは、またもArrow社です。
スチールコースターを発明して、円筒型レールの良さを知り尽くしたこの会社。次に手を出したのが、大型コースターでした。
高さを増していくと、木製コースターは木組みが複雑になるとともに、横風に耐えるために横幅が広がってしまいます。一方、スチールコースターであれば比較的シンプルな構造で作れてしまいます。加えて、円筒型レールに樹脂巻タイヤの組み合わせは、振動や音が小さいので、高速化しても乗り心地がヒドいものにはなりませんし、騒音も低く抑えられます。そんなわけで、ローラーコースターの大型化には円筒型レールが必要だったのです(現在では、技術の進歩もあって木製の大型コースターも作られています)。
そこにいち早く気づいていて、相応の技術力も有していたArrow社は、1989年に世界初のハイパーコースター(高さ200 フィート≒61 m以上のコースター)「Magnum XL-200」を米国Cedar Pointにオープンさせます。
コースレイアウト自体は、折り返し部を除いて単純に直線的なコースでアップダウンを繰り返す、古典的な「アウトアンドバック」型に回帰しています。シンプルなレイアウトながらも、圧倒的なスケール感とスピード感を楽しませる、王者の貫禄が感じられる作りです。
日本には、やや小型のバージョンがスペースワールドに存在していました。ただし、スペースワールド閉園後は行方不明(おそらくスクラップ)になっています。
その後、スペースワールドのタイタンを含めて合計5機を製造してArrow社はハイパーコースターから手を引きます。これは単純に、Arrow社の経営が悪化して、ハイパーコースターを作る余力がなくなりつつあったからだと思われます。
さて、ここで忘れてはいけないのが、日本勢の存在です。
実は当時、世界一の高さを誇っていたのが、1983年製富士急ハイランドの「ムーンサルト・スクランブル」でした。明昌・岡本の兄弟企業(社長が実の兄弟)による合作で、最高部高さは66 m(レール最高点は75 m), 最高時速105 km/hを誇っていました。さらに、無理のあるひねりループのせいで、後ろ向き走行中に最大荷重6.5Gがかかるという、狂気のマシンでした。しかしながら、これはいわゆるシャトル型。巻き上げで最高到達点まで登った後、後ろ向きにドロップしてひねりループを通過、反対側の坂を登って一時停止した後、もときたコースを前向き走行で戻っていきます。そうすると何が問題かというと、車両全体が70 mの高さに至るわけではない、という点です。7両編成でしたので、車両の長さは10 m以上。ですから、最後尾は60 mに到達していません。それでも、ただシャトルループを変形させて大型化しただけだとしても、1980年代には日本に世界一高いコースターがあった、というのは忘れてはならない事実です。ちなみに、ムーンサルト・スクランブルはレールがスケートリンクをまたいでいましたので、比較的高さのある部分を支える支柱がスケートリンクをまたぐようにアーチ型になっていたのも大きな特徴です。見た目にも美しい、素晴らしいコースターでした。
さらに、1988年には巻き上げ高さ78 mを誇るコースターがよみうりランドにオープンします。ご存知トーゴ製の「バンデット」です。起伏のある地形なので、最高部と最低部の差は80 mを超えるはずなのですが、その起伏のおかげで最高到達点は巻き上げ高さより低い51 m。レコードホルダーにこそなりませんでしたが、周遊型コースターとしては当時唯一の50 m超えです。しかもコース中に垂直ループはなし。純粋に高さとスケール感を楽しませるコースターです。序盤にバンクターンと水平ループこそありますが、その後はシンプルなアウトアンドバック。スケール感と自然の起伏を活かした、ダイナミックかつスピード感のあるレイアウトです。Magnum XL-200の1年2ヶ月前に作られていますので、時期的に微妙なところですが、バンデットがArrow社に影響を与えた可能性も大いにあります。80年代のトーゴは本当にすごかったのです。
その後、同じくトーゴ製の富士急ハイランド「FUJIYAMA」、インタミン社製シダーポイントの「ミレニアム・フォース」、モーガン社製ナガシマスパーランドの「スチールドラゴン2000」などが作られていきますが、高さのワールドレコードを獲得したのはFUJIYAMAだけ。その後はインタミン社のゆっくりリニア加速シャトル型フリーフォールタワーコースターや、同じくインタミン社の急速リニア加速型タワーコースターがタイトルホルダーとなっていきます。
一方で、世界記録こそ狙うコースターは少なくなりましたが、東京ドームシティの「サンダードルフィン」をはじめとして大型かつ非ループ、非シャトル、非タワー型コースターは2000年代以降も建設され続けています。どちらかというと乗り味や、実際に乗車した際の楽しさを重視したコースターが増えてはいますが、トーゴやArrowが切り開いた超大型スチールコースターの世界は健在なのです。
インバーテッド(サスペンデッド・ルーピング)・コースター
スイスのBoliger & Mabillard社は、同じくスイスのインタミン社から1988年に独立した企業です。インタミン社は総合アミューズメント機器の会社でしたが、シュワルツコフ製品のアメリカへの輸出に関わったことなどからノウハウを吸収して、ローラーコースター界に参入した会社。技術の流れとしては、ベースはオリジナルではありますが、シュワルツコフの流れも汲んでいます。
そんなインタミン社がトーゴの立ち乗りを真似て作ったコースターを引っさげて、スピンアウトしたのがB&M社。1990年に立ち乗りの1号機を納入しています。すでにインタミンで作っていたコースターを、新たな会社に移して製造し始めたわけですから、決してクーデター的な独立ではなくて、(少なくとも表面上は)平和的な独立です。ですから、インタミンと直接競合するようなコースターを製造することが出来ません。その一方で、立ち乗り一本では、業界で勝ち残っていくのは苦しそうです。そこで、B&M社は変わり種を多数生み出していくことになります。
ちなみに、当時のインタミン社のうち、大型スチールコースター関係の人材はほぼB&M社に移ってしまったようで、インタミン社は小型コースターや木製コースター、ダークライドタイプの変形コースター、リニアモーターを使ったフリーフォール型、シャトル型など、いわゆる王道スチールコースター以外のコースターを作り続けることになります。インタミン社が王道のスチールコースターに参入するのは、1998年以降のことです。
インタミン社は、シュワルツコフがアメリカの一部のコースターで使っていた、2本のレールと平行に1本または2本のレールと同じ太さの梁が走るタイプの構造を大型コースターに使っていますが、B&M社は独立当時に使っていた、レールと平行にボックス型の梁が走るタイプの構造を現在も使い続けています。また、B&M社は主に横4人乗り以上かつプラットフォームが2つ以上あるような、大型で高効率の大規模遊園地向けコースターを作っていますので、この点で住み分けができているようです。
さて、1990年に立ち乗りコースターを発売したB&M社が、次に考えたのが吊り下げ式コースターでした。「乗客の姿勢や拘束を不安定化させることでスリルを増す」という考えがあったのでしょうか。乗車姿勢と言いますか、ライド形状を工夫する形の新型です。
吊り下げ式とは言っても、Arrow社のサスペンデッド・コースターとは狙いが大きく異なります。Arrowのそれは車両がレール周りにスイングすることで、鳥や飛行機のような動きを再現するものでした。一方、B&M社のものは、ライドは台車に対して固定されています。これによって、可動式では不可能に近かったループやコークスクリューを導入できるようにしたのです。ですが、それだけでは通常のコースターに対してレールが上下反転しただけに過ぎません。B&M社は、ライドの囲いや床も取っ払ってしまったのです。
こうして、後に世を席巻するインバーテッド・コースターが誕生しました。2023年現在まで全32機(うち1機はレーシングタイプでしたので、コースは33機分)が製造され、日本には御殿場ファミリーランドの「ガンビット」、エキスポランドの「オロチ」、姫路セントラルパークの「ディアブロ」、志摩スペイン村パルケエスパーニャの「ピレネー」と4機が導入されています。前2機は閉園にともなって海外に移設されてしまいましたが、後ろ2機は今でも乗ることが出来ます。ちなみにガンビットとディアブロは1992年の1号機と同型です。
1994年にはオランダのVekoma社も参入してきます。こちらはインバーテッドではなく、サスペンデッド・ルーピング・コースターという名称を使っています。
なめらかで鳥にでもぶら下がっているかのような乗り心地のB&M社に対して、Vekoma社はド派手な見た目のコースレイアウトの通り、荒々しい乗り味。B&Mがシュワルツコフの流れを一部に汲んでいるのに対して、VekomaはArrowの流れを汲んでいますので、似たタイプのコースターを作ると、見事に大元のキャラクターが現れて面白いです。乗車人数は、B&Mは横4人乗り、Vekomaは横2人乗り。Vekomaは小型の遊園地にも導入しやすい規模感です。
2020年9月現在全42機が製造されまして、うち4機が日本に導入されました(厳密には5機なのですが、うち1機は博覧会会期中の仮設で、博覧会終了後は海外に移設されています)。鈴鹿サーキットの「ブラックアウト」、ルスツリゾートの「ハリケーン」、那須ハイランドパークの「F2」、グリーンランドの「NIO」が日本導入機。うちブラックアウトのみ海外に移設されていて、他3機は現在も元気に営業中です。日本導入の4機はすべて、Vekoma社製サスペンデッド・ルーピング・コースターの標準型。全27機も作られた大ヒット機種です。
インバーテッド(サスペンデッド・ルーピング)・コースターはB&M社もVekoma社も数年前まで新規製造していたほど、もはや定番となったコースターです。
B&M社はその後、インバーテッドを発展させるような形で、足ブラブラながらも車台の上にライドがあるフロアレスコースターや、車台の脇にライドがあるウィングコースターなどを開発。いずれも現在も製造され続けている人気コースターとなっています。
スピニングコースター
スピニングコースターという概念自体は、20世紀初頭から存在していました。詳しくは、以前の記事でご紹介していますのでご参照ください。
その頃のコースターでも1980年代くらいまでは残っているものもあったほど、そこそこの人気を誇っていたタイプでしたが、1990年代に一世を風靡するアイデアが生まれました。
ワイルドマウス型に横回転するライドを組み合わせたのです。ワイルドマウス型は、カントのない連続ヘアピンで左右に振り回されるような動きが特徴です。これにスピンするライドを組み合わせることで、ヘアピンのたびに大きくライドがスピンする楽しさを追加できるのです。
ワイルドマウス型にスピンライドを組み合わせたのは、フランスのReverchonという会社。1997年に1号機が納入された後、ものすごい勢いで全世界に建設されて、現在では全34機が製造された人気コースターです。日本にも、グリーンランドの「スピンマウス」、よこはまコスモワールドの「スピニングコースター」、ひらかたパークの「クレイジーマウス(Reverchonのスピニングコースターですが、ライドはスピンさせずに運用)」の3つが導入されています。この布陣はおそらく、泉陽興業が代理店をしていて売り込んだんでしょうね。更にはケニウッドやシックス・フラッグス・グレート・アメリカといった有名遊園地、果てはウォルト・ディズニー・ワールドまで「プライミーバル・ワール」という名前で導入しています。
Reverchonのスピニングコースターが設置されたのは1997年のことですが、実はその数年前からスピニングコースターが流行する兆しは見えていました。1994年にはドイツのZierer社が小型のスピニングコースターを開発。翌1995年には、韓国ロッテワールドにスイスのインタミン社が屋内型スピニングコースターを納入しています。さらに後にスピニングコースターを大型化していくことになるドイツのMack Rides社が、ダークライドと組み合わせたスピニングコースターを1997年に設置。これはものすごく制御されたスピニングコースターでしたが、ライドがスピンする部分にはワイルドマウス的ヘアピン要素のあるものでした。
そうした予兆もあって、スピニングコースターは20世紀末から大ヒットを記録。ドイツのMaurer Rides社、Gerstlauer社、イタリアのFabbri社、Zamperla社なども参入。国内企業も既存のコースターにスピン車両を導入するなどの形で参入しています。
スピニングタイプのコースターは、特に大きな失速もなく、現在も楽しいコースターが作られ続けています。日本で最新に近いスピニングコースターが楽しめるのは、よみうりランドの「スピンランウェイ」でしょうか。ディズニーもパリのスタジオにMaurer社製スピニングコースターを導入しましたし、ウォルト・ディズニー・ワールドのエプコットにも屋内型のスピニングコースター(Vekoma社製)を2022年に導入しています。
大型化も進んでいて、エプコットの新コースターは全長1,700 mで世界最長ですし、Mack Rides社は高さ30 m, 最高時速81 km/h, 落下角90度、上下反転3回というおそろしいスペックのスピニングコースターも作っています。
ワイルドマウス型からアップダウンを絡めたカーブのあるコースへと進化してきたことで、回転次第ではフワッと浮くような感覚になったり、場合によっては外に思いっきり放り出されるような感覚になったり、非常にスリリングでかつ楽しく、しかも乗るたびに異なる味わいを楽しめるコースターに仕上がっています。まだまだ勢いは衰えそうにありませんので、これからも楽しみな形式です。
さて、こうして再び全盛期を迎えたローラーコースターですが、21世紀にはいると再び停滞の時期に入ります。そんな21世紀に生み出された技術と、今後の展望について、次回の記事で論じていきます。
参考文献
[1] “The Incredible Scream Machine – A History of the Roller Coaster,” Robert Cartmell, Amusement Park Books, Inc. and the Bowling Green State University Popular Press (1987).
[2] “Roller Coaster – Wooden and Steel Coasters, Twisters, and Corkscrews,” David Benett, Chartwell Books, Inc. (1998)
[3] “Coasters 101: An Engineer’s Guide to Roller Coaster Design,” Nick Weisenberger, CreateSpace Independent Publishing Platform (2012)
引用方法
引用時は、下記を明記してください。
Yu Shioji, J. Amusement Park (2023) 230010.
利益相反
本稿に関わる利益相反はありません。
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