Author: Yu Shioji (塩地 優) Article type: Article(研究) Article number: 240002
国内のシミュレーションライドの歴史を辿りながら、その進化とブームの移り変わりを追うことで、国内の顧客の嗜好とその変遷を考えることで、シミュレーションライドの魅力の本質を探ります。考察のベースとなるデータには、当学会が独自に構築したデータベースを使用します。データベースが主として1985年~2000年のデータを対象としているため、ここでも1985年~2000年を中心とした考察を行います。データベースからシミュレーションライドのデータを抜粋したものは、本ページ末尾に記載しています。
シミュレーションライドの定義
ここでいうシミュレーションライドとは、スクリーンとプロジェクター等による映像と、少なくとも座席を映像に合わせて動揺させる装置を備えたものを指します。その中には、映像が動揺装置上に固定されていて、客席周辺が覆われている「キャビン型」と、映像が動揺装置上にはなく、客席は動揺装置の外に対して開放状態にある「シアター型」があります。
動揺装置には油圧を用いるものが多い傾向にありますが、サーボモーターを用いるもの、空気圧を用いるものなど、多岐にわたります。また、動揺装置は接地面に対して固定されている場合もあれば、設置面上にレール等を敷設し、その上を可動とする場合もあります。こうした種類にはよらず、前記定義に従うものを、広くシミュレーションライドと呼ぶことにします。
ただし、映像面が1枚ではなく、複数枚存在し、客席が映像面の間を移動する場合であって、映像面1枚に対面する客席数がおおむね20未満の場合には、その主目的に従って、ダークライドやローラーコースターなどに分類することとします。
スターツアーズ以前: 初期のシミュレーションライド
シミュレーションライドの、客席動揺を映像に同期させる技術は、フライトシミュレータに由来します。シミュレーションライドが開発された当時のフライトシミュレータが、キャビン型が主流であったために、初期のシミュレーションライドもキャビン型が中心でした。
世界初のシミュレーションライドは、Doron社により1977年に設置されたSR2だとされています[1]。同じく1977年には、Wisdom社のアストロライナーも設置されています。
日本国内においても、1989年にかけて、Doron社のSR2とWisdomのアストロライナーが多数設置されています。データーベースに情報のある範囲では、SR2のモデルチェンジが行われたこともあって、常設施設としてはSR2が多く導入されています。アストロライナーは、博覧会の遊園地スペースに、主として岡本製作所が営業参加する場合に設置されています(データベースのメーカー名に「岡本製作所」とありますが、これは元データに依存するもので、実際にはWisdom社のものを岡本製作所が設置していると推定されます)。
いずれもキャビン型で、SR2(後期モデル)は前後左右傾斜と前後左右動が可能で、アストロライナーは前後傾斜と左右回転が可能です。大雑把には傾斜と直線動作によって動きを再現するのがシミュレータの基本ですので、特にSR2は現代へとつながる基本機能は備えていることになります。
この時期の特筆すべきアトラクションとして、後楽園ゆうえんちの「フライングキャビンUFO」と、長崎オランダ村の「大航海体験館」があります。フライングキャビンUFOは円盤状のライドを用いている点がユニークなライドです。東光通商が油圧部品を製造したという記載があります[2]。大航海体験館は三菱重工の製造で、後にハウステンボスに移設されています。特に大航海体験館は、国産で、かつこの時期にシアター式を採用していた点が特徴です。
1989~1991: 没入感の向上と特徴の創出
1987年、アナハイムのディズニーランドにスター・ツアーズが設置され、1989年には東京ディズニーランドにもスター・ツアーズが設置されます。これは古典的なキャビン型の大型機で、システム自体はRediffusion Simulationという会社が製造しています。スター・ツアーズに先立って1985年、カナダのCNタワーに設置された、Tour of Universeのシステムを流用したものです。しかしながら、その映像や、映像と同期されたリアリティのあるモーションは当時としては衝撃的でした。特に東京ディズニーランドへの設置に刺激されたように、これ以降のシミュレーションライドの設置方向性が大きく変わっていきます。
89年から91年にかけて、多数のシアター型が設置されます。シアター型のシミュレータは、そのルーツは1950年代まで遡ることができます。Cinerama(シネラマ)という、映写機を3台並べて横に広い画面を実現することで、視野を映像で埋め尽くし、没入感を高める技術が50年代に開発されています。その封切りに使われた”This Is Cinerama”というソフトに、Rockways’ PlaylandのAtom Smasherというローラーコースターの映像が用いられました[3]。ローラーコースターに乗車せずとも、映像だけでまるで乗車したかのような没入感が得られることに、相当な衝撃があったと言います[4]。この、映像を大型化することによる没入感を利用して作られたのが、シアター型のシミュレータです。
89年から91年にかけて設置されたものは、大きく分けると下記の3機種です。
- Intamin社製 Dynamic Motion Simulator: 横10人1ユニットで、ユニットごとに油圧動作。ソフトは主にShowscan。
- Ride Works社製Turbo Tour Theater: 横2人1ユニット。ソフトはiWerks。
- Omnifilms社製Motion Master: 1人1ユニット。
中でもDynamic Motion Simulatorが広く導入され、Turbo Tour TheaterやMotion Masterは、それと比べて1ユニットが小さいため、乗車位置による体感の違いが少ないという売り文句で導入されています。いずれもCineramaの流れを汲んで、ローラーコースターの映像が頻繁に使われていました。ShowscanであればSix Flags Magic MountainのColossus, iWerksではSix Flags AstroworldのTexas Cyclone, Motion MasterではSix Flags Great AmericaのAmerican Eagleの映像が用いられています。いずれのシステムであっても、映像は70mmフィルムで、大型かつ高精細な映像を楽しむことができました。
また、UCCスターポートでは、Dynamic Motion Simulatorを用いてルーカスフィルム製映像の封切りが行われたように、シミュレータを単体設置して、映像の特色によって集客をする、という試みも行われています。明らかにスター・ツアーズやスターウォーズの影響を受けたアトラクションですが、当時の映画経済の強さが垣間見える事例です。
同じ時期には、オリジナリティのあるアトラクションも多数製作されました。例えば、大阪、弁天町駅前にあったパラディッソという複合施設の「ツアー・オブ・ザ・ユニバース」は、前述のスター・ツアーズのシステムのベースとなったCNタワーの”Tour of the Universe”と全く同じものを設置していて、宇宙旅行を体感させるための、事実上のプレショーに50分程度を要するアトラクションで、複合施設内に単体設置されていました。また、富士急ハイランドのアングラーも同型システムをベースとしてシミュレータで、ポストショーまで設置するなど凝った作りでした。後に同型システムは、AOIAのダイナヴォックスや、ポルトヨーロッパにも設置されています。
日本セルモは、長浜楽市にワンダーシップというアトラクションを設置。これは、通常のキャビン型シミュレーションライドに加えて、各座席に設置されたレバーやボタンを用いたゲーム要素のある内容で、後のインタラクティブなシミュレータへの端緒を切り開きました。
泉陽のコスモクルーザーは、キャビン型シミュレーションライドではありますが、乗車定員が4名と少ないものを、ダークライドのように軌道上を連続動作させることで回転率を向上したもので、大きなキャパシティが求められる博覧会にも設置されています。
一般的な遊園地には、SuperXをはじめとして、量産型のキャビン型シミュレータが多く導入されていますが、大型遊園地やシミュレーションライド単体設置の場合には、没入感、ソフトの新規性、テーマ性、インタラクティブ性など、多様性を生じ始めた時代です。
1992~1995: 大衆化とゲーム性の強化
こうして一気に多くの遊園地に導入されたシミュレーションライドは、1992年頃から遊園地外でも頻繁にみられるようになり、一気に大衆化していきます。代表的なのはSEGAのR360(1990年発売: ゲーム機に分類し、本データベースには含まず)、タイトーのD3-ボス(1991年発売)です。R360が1人乗、D3-ボスが2人乗、価格はいずれも定価1,800万円とシミュレーションライドにしては安価で、かつ要求する床面耐荷重レベルも高くないため、ビルや商業施設内を含む、多くのゲームセンターに設置されました。R360はX軸、Z軸の2軸回転で、D3-ボスはY軸も含む3軸回転が可能です。D3-ボスにはZ方向の直線動作を可能にした直営ロケーション限定バージョンも存在します。上下反転できるシミュレーションライドは、小型でなければ実現が難しいため、現在に至るまで小型機の特徴であり続けています。
また、台数は前記2機種ほど多くありませんが、ナムコも日本アニメーションと共同製作した「ピーターパンの冒険」というソフトを持つ、子供向けのシミュレーションライドを開発して販売しています。
同時期には、カヤバ工業や日本セルモ、三菱重工などによるシミュレーションライドの国産化が進展するとともに、それに電通プロックスなどの映像制作が組み合わさることで、オリジナリティのある国産アトラクションが広く普及するようになります。
大衆化の一方で、ゲーム性の高い機種も登場し始めます。SEGAのAS-1はゲーム性こそそれほど高くありませんが、キャビン型で汎用性が高いことから、SEGAの施設以外にも多くが外販されています。また、1994年のガルボや横浜ジョイポリス開業を皮切りに多店舗展開されることになる、SEGAのジョイポリス施設に向けて、様々なシミュレーションライドが開発されました。中でもVR-1は、VRゴーグルを装着してシューティングゲームを行うもので、現代のVRシミュレーションライドの元祖と言える存在です。また、ナムコ、SEGAの両社がもつレーシングゲーム系シミュレータ、ナムコのファイターキャンプのような本格派戦闘フライトシミュレータまで、ゲーム内容も多様化していきました。
1996~2000: 主力からの脱落
1995年ごろまでに急速に大衆化が進んだため、大規模遊園地が主力機として多額を投資することはできなくなり、シミュレーションライドは急速にその地位を低下させていくことになります。映画文化も1990年頃から2000年にかけては、興行収入、スクリーン数、映画館入場者数ともに停滞期にありました[5]。このため、映画文化的側面から、映像の新規性で集客することも難しい状況にあります。シミュレーションライドの集客要素は、既に過ぎ去ってしまっていた、と考えられます。
その中でも、精力的に新機種の開発を行っていたのが、ジョイポリスを擁するSEGAです。レーシングゲーム系を主体としていますが、インディフォーミュラの置き換え、あるいは類似機種増設で、ボートレース、ボブスレー、ハンググライダー、自転車、陸上競技など、多様なシミュレーションライドを開発しています。
他に特筆すべきアトラクション導入として、3点を挙げておきます。
1点は、アイマックスライドフィルムの導入です。アイマックスの大型球面スクリーンを使ったシミュレータとしては、1991年のバック・トゥ・ザ・フューチャー・ザ・ライド(日本導入は2001年)が有名ですが、その小型版ともいえるアトラクションが日本に複数導入されています。BTTFのライド部はIntamin社製ですが、少なくとも国内のアイマックスライドフィルムの駆動部は三菱プレシジョンが製造。視界が球面スクリーンに囲われることで、きわめて没入感が高いことが特徴で、筆者も「ファンハウス・エクスプレス」というソフトで、実際には存在しないはずのエアタイム(内臓が浮き上がるような感覚)を感じた記憶があります。
2点目は、ジョイポリス系に導入されたホラーライド(新潟ではロストセメタリー)です。これは一見、前述のコスモクルーザーのような連続動作するキャビン型シミュレーションライドに見えますが、眞砂工業のローラーコースター技術が組み合わさっています。特に映像の中でトロッコ様のライドが発進する場面に合わせて、実際のライドがタイヤ駆動で加速されることで、従来のシミュレーションライドでは実現できなかった、長距離直線動作による加速感を実現しています。
3点目は、1999年に発売されたマックスフライトVR2002です。これは、自ら作成したコースに従って走行するローラーコースターを体感できるという特徴がありました。同じコンセプトのアトラクションは、Walt Disney WorldのDisney Questに、Cyber Space Mountainとして1998年に設置されていますが、これはその場回転が主体であるのに対して、マックスフライトは回転軸が座席中心から離れていて、スイングするような動作ができるという特徴がありました。
ただし、いずれも起爆剤とはならなかったころから、既にライドシステムの新規性だけでは集客が困難な、シミュレーションライドというものに対する一般客の興味が薄れた状態にあったと考えられます。
2001年以降の動向
1995年にはインディ・ジョーンズ・アドベンチャー(日本導入は2001年)、1999年にはアメイジング・アドベンチャー・オブ・スパイダーマン(日本導入は2004年)がオープンし、ダークライド型シミュレータが大きく進化していきました。これによって車両走行のリアル感が大幅に高まり、従来型のシミュレーションライドでは太刀打ちできないレベルに達します。
2001年にはソアリン(日本導入は2019年)がオープン。それまでにもジョイポリスのスカイクルージングのように足ブラ型のシミュレーションライドはあったものの、没入感の高い大型アイマックススクリーンを組み合わせたことで、飛行タイプのシミュレーションライドという新ジャンルを成立させるに至りました。
2010年のハリー・ポッター・アンド・ザ・フォービドゥン・ジャーニー(日本導入は2014年)によって、足ブラ+球面スクリーンを組み合わせた飛行型に、工業用ロボットアームによる複雑な動作が追加され、客席動揺のリアリティも大幅に高まっています。
シミュレーションライドの長年の課題であった、直線動作と設置スペースの兼ね合いについては、2014年のハリー・ポッター・アンド・ジ・エスケープ・フロム・グリンゴッツ(日本導入予定なし)がローラーコースターを組み合わせたことで、一応の解決を見ています。
他方では、2009年から発売された映画の4Dシート(日本導入は2013年)の登場により、シアター型シミュレーションライドは完全に地位を失いました。こうして、リアリティのあるシステムは大規模化が進み、小規模なライドは映画館で、より質の高い映像とともに楽しめるようになったことで、一般的な遊園地におけるシミュレーションライドは急速に衰退します。
大手テーマパーク以外では、国内は2014年の富士急ハイランド、富士飛行社を除いて新規投資が停滞していましたが、2016年頃からVR系シミュレーションライドの設置が急増します。ただし、これもコンテンツ不足と、急速な普及に伴う新味性の低下から、2023年現在、既に一部遊園地では撤去も始まっています。
結論
スターツアーズが日本に導入された1989年頃を起点に、国内のシミュレーションライドが一気に普及・大衆化し、多様なアイデアが実現された後、6年ほどで消費しつくされて市場が縮小に向かう過程を概観してきました。その間わずか10数年というのは、遊園地のアトラクションの中でも群を抜いて短い存在です。その背景としては、
- 小型・低価格の販売が相次ぎ、「遊園地に行かなくても乗れる」存在になってしまったこと
- 映像が主体のアトラクションのため、複数回乗車する魅力に乏しいこと
があげられます。コンパクトな敷地に比較的低価格で設置できることがシミュレーションライドのメリットでしたが、それがそのまま仇となった格好です。一方で、富士飛行社やゴジラ・ザ・ライドのように、リアルな動作と映像、圧倒的な没入感のある施設によって、ある程度の長期間にわたって遊園地の主力機級として君臨し得ることがわかります。ただし、上記アトラクションは10億円を超える投資をしています。Brogent社、Intamin社など、こうした領域で実績のある企業をはじめとして、イマーシブアトラクションというジャンルで、従来のアトラクションにシミュレーションライド動作と映像を組み合わせたような新規ライドを開発していますが、いずれも同規模、あるいはさらに大きな規模の投資を必要とすると思われます。少なくとも箱モノで遊園地が魅力を維持するためには、こうした投資ができるかどうかが、大きな分かれ目となる可能性が高いと考えられます。
参考文献
[1] wikipedia英語版 “Simulator ride,” https://en.wikipedia.org/wiki/Simulator_ride (2024年1月5日閲覧)
[2]東光通商webページ https://www.tokotsusho.co.jp/yuatsu (2024年1月5日閲覧)
[3] Wikipedia英語版 “This Is Cinerama,” https://en.wikipedia.org/wiki/This_Is_Cinerama (2024年1月5日閲覧)
[4]”The Incredible Scream Machine – A History of the Roller Coaster,” Robert Cartmell, Amusement Park Books, Inc. and the Bowling Green State University Popular Press (1987).
[5] 一般社団法人 日本映画製作者連盟 過去データ一覧表 http://www.eiren.org/toukei/data.html (2024年1月5日閲覧)
引用方法
引用時は、下記を明記してください。
Yu Shioji, J. Amusement Park (2024) 240002.
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